絵画観
耳が聞こえないから、今の私の絵画があるのでしょうか?補聴器を外しても、私は私であり、制作し、思考し、決断する時に補聴器を必要としません。
幼年期の二つの大きな出来事、自分だけが聞こえないことがわかったこと、もう一つはセントメリー教会で見たもの。
もし、耳が聞こえていたなら、私は絵画を描かず、音楽や文学を選択していたはずです。私の深い関心はこの二つにあったのですから、、。
しかし、不条理とも言える聴覚欠如のため、制作に聴覚を必要としない絵画へ向かわざるを得なかった。絵画は私に与えられた不条理への抵抗と言えます。
幼年時代、カソリック教会で見た強い印象が私の絵画原体験です。イエス・キリストの生涯を知るようになって、特にこの人物の神々しさを作品のテーマにしています。描くのは、イエスばかりでなく、12使徒や聖者の他、ベルリン、東京に生きている人々も描いています。
2004,2,16, ドイツ、ベルリンにて